まじめなお話

今回は特に写真はない文章だけの全く面白くないBlogなのでスルーしても大丈夫ですが、もし時間があるなら読んで頂ければと思います!

 

先日僕は、実家のある三重県 松阪市に帰省しました。

まあ1年半振り位の久々の帰省です。

 

今回は親父のお墓参りとこの道に進む時にお世話になった恩師の先生がお亡くなりになられたとの事でお線香をあげさせてもらいに伺いました。

 

親父、先生共に同じ年でまだまだこれから楽しめるのに早過ぎると本当に思います。

 

僕がこの道に入るきっかけで入れたことは恩師の先生のおかげでした。

それは僕が16歳の時中学を卒業した位はよくテレビであるようなやさぐれとゆうか、いわゆるやんちゃな感じでした。

とてもここでは書けないような感じでこの頃は色々な方にご迷惑をかけていたと思います。 そんななか自分がその頃好きだった髪いじりをしたいと思い、理容師になろうと思いました。

しかしその頃色々な事があり4月入学には間に合わずもう専門学校自体は授業が始まってしまっていました。

 

通常なら翌年にまわるか通信になるか(この頃はまだ1年制で中卒でもOKでした)しかないと言われていました。

 

当然と言えば当然。 けどその頃の16歳の僕が1年間やる事がないとか通信とかになってしまうともっとやさぐれてしまうのではないかと周囲の方も親も思っていたらしく、今思えば確かに1年間、プーだと今頃道も変わっていたかもしれません。

そんな折僕の恩師の先生が、学校の先生もやられていて校長や理事長に掛け合って頂いて無理に途中入学をさせて頂く事に。

異例ですよね。 立場的な物もあると思うし僕は小さい事から先生の床屋さんい散髪に行っていて近所でした。その位のおつきあいでしたが小学から髪に興味があって1週間に一回位通っていました 笑  その度先生は詳しく教えて頂いてより興味がわいていたのも忘れません。

 

しかし16歳位は不安定な時期で反抗期も真っ只中、連れとバイクに乗っている方が楽しい時期でしたね。

 

 

それでも先生のおかげでこの道に入る事ができ理容師として第一歩が歩み出されました。

 

最初はものすごく学校でも馴染めずトゲトゲして専門でも謹慎、謹慎で何度もおこられ先生の立場もより悪くしていたと思います。

けど家にもあまりいたくないし実家をでるお金もないそこで専門学校から住み込みの仕事先を紹介してもらい、働きながら昼間は学校、夜や休みの日は床屋で働き2階に兄弟子とシェアして住むとゆう生活を始めました。

始めたのは良いけどその頃はまだ床屋の先生が鴉が白と言ったら黒でも白みたいな感じで縦社会でしたのでまだ16歳の反抗期の僕ではかなり厳しいかったです。

 

もちろん1年も経たなく辞めてしまいました。 根性がなかったんです。

その時も間を取り持って頂いたのも恩師の先生でした。

 

何も言わずに味方をしてくれ本当に感謝しかありません。

 

それから幾度もお世話になり理容から美容に移る時も一番背中を後押ししてくれ嫌なことも言わず応援してくれました。

 

 

なので今の僕はあります。

 

 

人生は有限で限られた時間しかありません。

 

それが明日までか1年後かはたまた10年後か誰にもわかりません。

 

ただ分かるのは時間は皆に平等にありただ時間の進む速度や使い方は人それぞれで全く違います。

 

その貴重な有限の時間のなか僕に関わってくれてた先生や親も友人もお客様もその他大勢の方に本当に尊く感謝しています。

 

これからも一日一日、1時間1時間、僕に使って頂く時間をしっかり有意義に大切に使わせて頂きたいと思います。

あまりつまらない内容で申し訳ありませんでした。

 

 

先生色々ありがとうございました! 西尾はこれからも理美容師として頑張ります。 安らかにご冥福をお祈り致します。

こちらからシェアー拡散よろしくお願い致します

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